自己紹介なのだ。
どうもめぐる。です。
先日、心療内科にて「鬱」「適応障害」と診断され、3ヶ月間の療養休暇を取ることになってしまいました、23歳一般男性独身、めぐるです。いわゆる「Z世代」ってやつです。さっさと転職して、楽な道を征こうとする不届き者です。ありがとうございます。
とは言ったものの、激務の日々からいきなり解放されて、何をすればいいのかわからず…。 いや、もっと言うと、仕事以外の何かをやってしまっていいのかといううしろめたさ、背徳感に苛まれているのが実情…。このブログを書くのも正直ドキドキであります。
心療内科の先生や心理カウンセラーさんと対話で、「これからの人生は自分の好きなことをして楽しんじゃおう」っていう一つの方針みたいなのは出たから、なんとなく、やりたかったことをいくつか初めてみようと思って大学時代に用意して手つかずだったこのブログを再開しようかなと!
少しずつ自分のこと、発信していくので是非見てね!
激務の日々を語ろう(´;ω;`)
言い忘れましたが、僕の職業は中学校教員です。はい、非常に激務です。異論は認めません(笑) 今回は療休を取ることになった経緯を軽くご紹介…。
誤解を招かないよう、最初に申し上げておきますが、このブログは教師という仕事のイメージを下げたり蔑むために書くわけではありません。特定の個人を誹謗中傷するつもりもありません。これを読んだ方が、教員を目指している方であってもなくても、何かの参考になればという思いで書きますので、ぜひ参考まで…。
ある朝、布団の中で…(ちょっと物語風に)
いつも通り午前3時半に目が覚めた。あれ、目は開いているのに体が動かない。 目覚めた瞬間から仕事のことが頭に流れ込んできて憂鬱になり、涙が出る。そして思った、
「あ、限界だ。」
そう思った瞬間、気持ちの糸がぷつんと切れた感じがした。朝から仕事をたくさん片付けなければいけなかったのだが、何もかもがどうでもよくなって時間ギリギリまで布団の中で眠りについた。
3時間ほど動けなかった。6時半。すぐにでも準備をして向かわなければ遅刻してしまう。風呂に入り、支度を急ぐ。朝食も取らず、時間ギリギリで家を出たがバスに間に合わなかった。せめてタクシーを捕まえよう。そう思い手配するも、家への到着時間、最寄りまでの走行時間を聞き、電車に間に合わないことも分かった。再びつながりかけていた気持ちの糸が、またぷつんと切れた。ここ数週間、こういう朝が増えてきている。
今度はリビングで動けなくなった。うつむき黙る自分に家族が心配して声をかけてくるが、何も耳に入らない。心配をかけていることにも嫌気がさし、カバンを全て置いて家を飛び出した23の朝。
年甲斐もなく大泣きしながら近所を徘徊した。コンビニでいつもの不健康メニューを買い、公園で食べた。小学生が登校している前でだ。泣きながら揚げ物をほおばる姿は完全に不審者である。ぼーっとしているうちに8時が過ぎた。スマホを見ると父から鬼電が。一言謝罪のLINEを入れ、そのうち帰ると言い、学校へ連絡することにした。
欠勤の連絡は初めてではない。しかし、理由が理由である上に、体育祭シーズン。定期テストも近い。担任、そして部活の事も考えると…。職場も深刻な人手不足に悩まされているところであるため、簡単に休むわけにはいかない。それはわかっている。わかっているが、行きたくないのだ。
時間ギリギリで、意を決して電話を入れた。他学年の先生が出た。熱があると伝えたが、「何時にこれそうですか?今体育祭とかでみんな忙しいってとこですが…。」と言われた。何も言えなかった。その後も、学年副代表、先輩へとたらいまわしにされ、同じような言葉をかけられる。休みたいという意思を通せなかった。
最後に出たのはいつも本当にお世話になっている兄貴だった。兄貴は「いや、それは休まないと。管理職とかには私からうまく言っておくから!なんも心配しないでゆっくり休んで」と言ってくれた。そのおかげで無事休むことはできた。
幸い金曜日だったため、土日は指導員に部活を任せて少し休める。そう思い家に戻った僕は、静かに眠りについた。
いざ校長へ直談判…
土日の部活は、指導員が私用で休むとのことだったので、急遽オフにした。それでも状態が良くなることはなく、週明けの事を思うと不安で押しつぶされそうだった。教員2年目の僕。これまでも同じ状況になったことはあった。しかし今回は違う。授業の事を考えるのも、部活の事を考えるのも、子どもたちの顔を思い浮かべるのすら嫌で、完全に気持ちは切れていた。
このままではまずいと思い、何のアポも入れず校長が休日出勤をしていることにかけて、学校へ行った。幸運なことに、働いていらっしゃった。休んだことを謝罪しつつ、全てを打ち明けた。 申し訳なさと情けなさで、校長の顔を見て話すことができなかった。ただ現状から逃げたい一心で、半泣き状態で話した。校長は僕の言葉一つ一つに耳を傾け、真剣に話を聞いてくれた。
結果、「落ち着くまで休み」という中途半端な状態で話は終わってしまったが、心を回復させる時間はできた。そこから約2週間、教員の働き方や在り方、自分はやれるところまでやれたのかなど、ひたすら考え直し、周りの社会人の働き方などにも視野を広げてみた。
そこで自分は、異常な働き方をしているのだと気づいた。いや、気づいたというより、思い出したの方が正しい。大学時代に勉強してきた。長時間残業なんて当たり前の世界。部活はボランティア。未経験でも経験者以上の指導を求められる重圧。保護者や生徒の方が立場が強く、どんな理不尽でも頭を下げなければならない仕組み。本当に力を入れて取り組みたい「授業」や「クラス経営」に尽力できないほど、関係のない業務であふれかえる学校現場。
すべては「子供のため」「みんな同じだから」という魔法の言葉で正当化される。実際に働いてみて、その苦しさに気づいた。いくら子供のため、みんな同じ道を通ってきているとはいえ限界がある。若すぎた自分は体力に自信があるから大丈夫、できると思ってしまったんだ。けど、目には見えない心の疲労が蓄積して、悲鳴を上げた。労働環境が変わらない限り、僕や僕以外の同じ思いをしている教員の苦しみはなくならない。現状を変えるにも力はないし、その立場に上り詰めるまで体がもつ気がしない。
だから、やめることにしました。
カウンセラー・心療内科での対話を通して
管理職に勧められて心理カウンセラーとの面談を受けてみた。自分の状態を聞くに、軽い鬱だと言う。 過食による体重増加(15㎏)、極端に短い睡眠時間(3~4時間)、不安で目覚め眠れない、朝体が動かない、憂鬱な気分が続いていて、生徒や先輩教員の前に出るのがとても怖いなどなど…。
どれも、社会人になれば当たり前の事なのだと思って受け入れていた。誰だって太っているし、仕事をしていれば睡眠時間だって短いもの。ブルーマンデーという言葉があるくらい、労働は憂鬱なもののはず。それを普通と思って受け入れたのがまずかったのだと気づいた。知らず知らずのうちに体にガタが来ているのに気づけなかったからだ。
心療内科からは、ばっちり診断書が出た。同時に「これからはもっと自分のために生きましょう。」と優しい言葉をかけてもらえた。生まれて初めて、自分のペースで生きていっても大丈夫なんだと安心感に包まれながら診断書を抱え、病院を後にした。
これからは心を休めながら、次の世界で働くことを想像し、楽しい毎日を過ごせたらいいなと思う。 人生初の転職。次はどんなお仕事ができるのかな…。
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